ししゃもろぐ

20代の投資・ライフハック・健康について書いています。

声が大きく決めつける人が人生うまくいく

人間は見たいものを見たいように見る。これって何の言葉でしたかね。

最近はほんとにこの言葉が現実なんだなあと実感する場面が多い。

まじめな人間には、要領よくやっている人間は結果を出していても気に入らないただのさぼりにしか見えないし、根っからの陽キャラにはおとなしい人間はただのつまらない人間にしか見えない。

 

逆に要領よくそこそこの結果を出す人間には、まじめな人間は無駄に時間を管理してくる邪魔な存在にしか映らないし、おとなしい人間には陽キャラはただのやかましい人間にしか見えない。

 

結局、みんなそれぞれに相手に自分の中でレッテルを貼って、自分の思い描いた相手の姿を当てはめている。

別に自分でレッテルを貼って自分の中でそう思ってるだけならいいけど、そのレッテルを周りに広めて印象を悪くするのは本当に勘弁してほしい。

これは完全な自分の中のイメージなんだけど、(これもレッテル貼りか)そういう思い込みが強くてレッテルを貼りやすい人ってすぐその勝手に貼ったレッテルを人に広めようとする気がする。

 

憎まれっ子世に憚るを地に行くような話だけど、事実だと思う。

選択肢が多すぎて決められない人が増えているから、みんな無意識に何かを断言してくれる人を求めていて、そういうまず最初に自分の意見をとりあえず考えないで強くいってしまう人間の言うことがみんなに受け入れられる。

一度無意識に刷り込まれた評価は、(たとえ全然正しくなくても)周りの人に無意識にそのレッテルを貼った状態でその対象を見るようにしてしまう。

 

そうなったらもうその勝手にレッテルを貼られた人はどうしようもない。どんどん貼られていくレッテルの数の暴力にやられてしまうという寸法。

 

そして一度そうみられるようになったらそうとしか見えないから、ごく一部そのレッテルに一致する行動をするだけでその評価は固定されていく。

 

結果として最初にレッテルを貼った人間の判断が正しいということになり、ますます影響力が強くなる。

 

 

声の大きい人は生きやすく、声の小さい人は生きづらい世界になってしまったなあ。

 

それなら自分でバンバン断言してレッテルを貼ればいいじゃないかという人もいるかもしれないけれど、そんなことはしたくない。

自分は嫌いだし、主義にも反するという行動をしている人間がうまくいってるっていうときはいったいどうしたらいいんだろうか。

 

うまくいってるっていうことは正義なんだから、その方法をできない僕らができそこないってことなんだろうか。